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京都地方裁判所 昭和42年(行ウ)14号 判決

原告 大映株式会社

被告 京都府地方労働委員会

参加人 映演総連大映労働組合

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は、原被告間において生じた分および参加によつて生じた分とも原告の負担とする。

事実

第一、申立

一、原告訴訟代理人は、「被告が、参加人と原告との間の京労委昭和四〇年(不)第一五号大映不当労働行為救済申立事件について、昭和四二年一一月六日付でなした命令主文のうち、第一項(不作為命令)および第二項(文書の提出ならびに掲示命令)を取消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求めた。

二、被告訴訟代理人は、主文第一項と同旨および「訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

第二、主張

一、原告訴訟代理人は、請求の原因および被告の主張に対する答弁として、次のとおり述べた。

(請求の原因)

(一) 被告(以下、被告委員会ともいう。)は、申立人を参加人(以下、参加人組合または組合ともいう。)とし、被申立人を原告(以下原告会社または会社ともいう。)ほか一名とする京労委昭和四〇年(不)第一五号大映不当労働行為救済申立事件について昭和四二年一一月六日別紙命令書記載のとおりの主文を有する命令を発し、右命令書は、同年一一月二〇日原告に送達された。

(二) 右命令の理由は、別紙命令書の理由に記載のとおりである。

(三) しかし、右命令主文のうち、第一項(不作為命令)および第二項(文書の提出ならびに掲示命令)(以下本件命令という。)は、次に述べるような理由により違法であるから、取消されるべきである。

(1) 本件命令は、事実の認定ならびに判断を誤つてなされたものであつて、違法である。すなわち、

(イ) 被告は、別紙命令書の理由第一記載の事実を認定し、これを基礎として、参加人組合の組合員多数の脱退が原告の支配介入によるものであると論断する。

(ロ) しかし、参加人組合の組合員数が昭和四〇年六月二〇日ころは約一、五〇〇人もあつたのに、組合員多数の脱退により僅々二〇日くらいの間に三四人にまで減少したのは、右組合執行部の非合理な統制、指導、闘争方針に対して、当時抬頭してきた内部批判勢力の強い不満が内攻し、それが爆発した結果によるものとするときはじめて妥当に理解できるのであつて、右事実自体、われわれの常識的経験の範囲の外に属する現象であり、とうてい原告側の支配介入という他動的原因のよくなしうるところではない。

また一方、当時における原告会社の客観的状勢としては、解散、事業所閉鎖等を含む営業内容の大幅な改革を企図していたおりのことであり、参加人組合の分裂を策してその上に、姑息な方針を樹立しようとするようななまやさしい事態ではなかつた。このように、前記脱退の要因を考えるにあたつては、当時の客観的事情、とくに原告会社の経済状態、参加人組合における批判勢力の抬頭、脱退不可避と考えられるにいたつた事情などについて十分の顧慮を払うことなくしては、とうてい本件の真相を把握しえない。原告は、かかる立場にたち、被告委員会において、右のような当時の客観的事情を主張、立証して、容易に支配介入の意思との関連を推定すべきでないことを明らかにしたにもかかわらず、被告は、これに対しほとんどなんらの顧慮を加えず、証拠資料のうち一部のもののみを採用し、特段の理由を示すこともなく反対証拠またはそれに関連する状況証拠を排除して、前記組合員多数の脱退がすべて原告の支配介入意思の実現であると推定し速断して、本件命令を発したものであつて、とうてい承服しうるものではない。

(ハ) 以下、被告がなした「判断」(命令理由第二)の主要な誤りを具体的に指摘すると、まず、随所にあらわれる誤りは、被告が当時の参加人組合の実態あるいは右組合に所属する従業員の態度がいかなるものであつたかについて考察しようとしないことである。たとえば、被告は、原告が昭和四〇年六月三〇日付「告」と題してなした再建協定に関する掲示につき、「右再建協定は、これを締結した該当者のみに適用する旨を明記して、組合残留者には適用しないとの意思を表示したものと解せられる。」(命令理由第二、二(一))とか、原告が同年七月二日付「告」と題してなした掲示につき、「再建協定と組合脱退とが不可分でなければならないことを要請した。」(命令理由第二、二(二))とかいうが、参加人組合ないし右組合に所属する従業員が会社の再建に非協力的であつたがゆえに、結果的に同人らに対する再建協定の適用が、他の従業員に比して延引したにすぎないのであつて、原告の右掲示行為は、まさに企業経営上の基準にもとづく判断の結果であり、支配介入と関連する事柄ではない。原告が、再建の可否を検討する重大な資料として再建協力の意思を確認しようとしたこと、あるいは再建に反対しまたは協力に乏しい者を余剰人員として指名解雇すべきことを公表したことも、経営の実態を改善する必要に迫られていた原告会社として、企業経営上の判断からなされたものであつて、なんら「組合残留者に対し所属組合の方針に反して再建に協力することを期限付で奨励した。」(命令理由第二、二(二))などというものではないし、また、「組合残留者に対して解雇の制裁をほのめかしながら再建に協力することを強要している。」(命令理由第二、二(三))などという認定は、およそ真相から離れたものであるといわなければならない。

(ニ) さらに、被告は、原告が公けにした「告」やビラの内容あるいは松田課長の言動をもつて、組合分裂の画策である(たとえば、命令理由第二、二(五)、三(二))かのごとくいうが、それらはいずれも、原告会社の窮状を社員およびその家族に訴え、または組合活動に関する個人的見解を伝えているにすぎないのであつて、言論の自由の範囲内にあることはいうまでもなく、これを「明らかに精神的な威圧を与えて組合からの脱退を奨励した。」(命令理由第二、三(二))などというのは誤解もはなはだしい。

(ホ) なお、チエツクオフの廃止は、従業員の組合所属関係が不明瞭で、従来のような取扱を継続することが不適当となつたことによるものであり、また、組合脱退報告書の配布は、支配介入などと離れた別個の事情にもとづくものである趣旨が当時の関係者間において了解され、円満に落着を見た問題であつたことについても立証されたのであるが、被告は、ことさらにその一面のみを強調している。

(ヘ) 以上のとおり、原告は参加人組合に支配介入したことはなく、またその意思も有していなかつたのであつて、被告のなした本件命令は、すべての原告側の言動を組合分裂またはその弱体化の意図と結びつけた曲解ないし事実誤認にもとづくものであるから、違法として取消されるべきである。

(2) 参加人組合は、従来、労働時間中の組合活動、すなわち全国大会、中央委員会、分会総会、その他の団体の会合への出席等について、原告から賃金の支払を受けているので、労働組合法第二条第二号に該当し、同法第二条の規定に適合しないから、同法に規定する救済を与えられるべきでないにもかかわらず、被告は右事情を知りながら本件命令を発したのであるから、本件命令は、この点においても違法であり、取消されるべきである。

(被告の主張に対する答弁)

(一) 命令理由第一、一(一)の事実は認める。

同(二)の事実は認める。なお組合員の減少が組合幹部の闘争的偏向に対する強い批判に基因することは明らかである。

(二) 同二(一)の事実は認める。

同(二)の事実中、ストライキ権確立に関する部分は不知、その余は認める。

同(三)、(四)の事実は認める。

同(五)の事実中、「未完成フイルムを社外に搬出するときは、組合と話合つて実施する。」と決められていたとの部分は否認するが、その余は認める。未完成フイルムを社外に搬出するときは、組合に通知することが了解されていたにすぎない。

同(六)の事実は認める。

同(七)の事実は認める。ただし、話合に応じなかつたのは、およそ所内完成を期待できる状況になかつたからである。

同(八)ないし(一〇)の事実は認める。

同(一一)の事実は認める。ただし、被解雇者の不参加を希望したのは、同人らが参加すると、解雇問題のみが団交の議題となり、経済条件等に関する交渉の進展がはかられなかつたからである。

(三) 同三(一)の事実中、相談を受けた者は一様に会社の解散に反対したとの部分は否認するが、その余は認める。相談を受けた者は、いずれも会社の意図を了解し、その措置を原告の代表者(以下、社長という。)に一任したのである。

同(二)の事実中、会社が組合の闘争方針を非難したとの部分は否認するが、その余は認める。会社は、該文書を配布し、会社の立場において企業の実状に対する認識を訴えたにすぎない。

同(三)の事実は認める。

同(四)の事実は不知。なお、審問の結果によれば、経済闘争を早期に解決することが申し合わされたのではなく、闘争を経済闘争に集約して早期解決をはかることが申し合わされたのであり、また、組合を脱退するということが決定されたことはない。

同(五)の事実は不知。

同(六)の事実は不知。なお、審問の結果によれば、二二日に前田委員長がかかる発言をするに至るまでの間、妥協案の提出等、組合分裂防止の努力が重ねられていたことが認められる。

同(七)の事実中、社長が記載のような趣旨の発言をしたことは認めるが、その余は不知。審問の結果によれば、黒岩等は社長と面会した際、会社再建について協力を約し、解散回避を切望したことが認められる。

同(八)、(九)の事実は不知。

同(一〇)の事実中、再建協定を締結したこと、社長が一部従業員の代表と面会したことは認めるが、発言の内容は否認する。

同(一一)ないし(一三)の事実は不知。

同(一四)の事実は認める。

同(一五)の事実は認める。なお、会社側回答は、審問の結果によつて明らかとなり、組合が一方において再建協定の締結を申し入れながら、他方においておよそ会社再建に協力する真意があると認められない内容の文書を撒布したり、同様なアジ演説を行なつたりしたことを反映するものであり、これらの事情と総合して考察すべきである。

同(一六)、(一七)の事実は認める。

(四) 同四(一)の事実は否認する。松田は、たまたま記載の者が七月一日付をもつて社員に任用せられたので、辞令を交付するために、労政課に出頭を求めたものであり、その際同人らが話題としたことに触れて発言をしたにすぎず、またその発言の趣旨は、審問の結果にあらわれているとおり、同人らとの間柄、周囲の状況等と総合して評価されるべきであり、片言隻句のみをとりあげる認定は不当である。

同(二)の事実中、仮事務所の設置に関する部分は認めるが、その余は不知。

同(三)の事実は認める。

同(四)の事実は認める。ただし、社長は、再建協力の意思を明示した者と非協力者とを区別して説明しているのであり、脱退者または旧労という次元で論じているわけではない。このことは「公示した条件は会社の再建協力者に対するもので」という表現からも明らかである。旧労所属の従業員はそのころ明確に再建協力の意思を表示していなかつたのである。

同(五)の事実は、末段記載の「この掲示を見た組合員は」以下の部分を除いて認める。組合員が記載の掲示をいかに受けとつていたかについては不知であり、また会社が記載のように解していたことは、その当時の組合がなお闘争的、非協力的実情にあつたことと総合して考慮さるべきであり、単に組合所属の事実によるのではない。

同(六)、(七)の事実は不知。

同(八)の事実は不知。なお、その組織構想図は、なんら会社の関知するところではない。

同(九)の事実は不知。

同(一〇)の事実は認める。このような取扱は、従業員の所属組合の変動の実態が十分に把握できないために考慮せざるをえなかつたのである。

同(一一)の事実は認める。これは従業員側の要請に応じて、便宜をはかつたまでのことであつて、そのため、とくに申出者に渡すことを指示していたのである。

同(一二)の事実中、従組が該文書を掲示したこと、京撮支部執行委員らが該抗議をしたことは認める。組合脱退報告書が各部課長から配布されたことはない。また、そのさい、松田と湯浅(組合中央書記長)と話合つた結果、一般の誤解を招く恐れもあるからやめてくれとの組合の申入れを受け、湯浅の希望する具体的な方法によつたものである。

同(一三)の事実は否認する。

同(一四)の事実は不知。

同(一五)の事実は認める。ただし、その配布は、再建協力者を対象とするものであることはいうまでもなく、組合の所属を規準とするものではない。

同(一六)の事実は否認する。

同(一七)の事実は否認する。面接の機会はあつたが、呼び出したわけではないし、また発言の真意は異なる。

(五) 同五(一)の事実は認める。ただし、会社が掲示した金額に差等があつたのは、たまたま同組合に所属する従業員が、その段階においては、再建協力を約していなかつたという特殊な事情によるものであり、組合脱退者に対して有利な取扱をしたわけではない。

同(二)、(三)の事実は認める。

二、被告訴訟代理人および参加人訴訟代理人は、請求の原因に対する答弁ならびに被告の主張および参加人の主張として、次のとおり述べた。

(請求の原因に対する答弁)

(一) 請求の原因(一)、(二)の事実は認める。

(二) 同(三)の事実中、被告委員会の認定ならびに判断は認めるが、その余は争う。

(被告の主張)

本件に関する事実関係はすべて別紙命令書理由第一に記載のとおりであり、命令の理由は右命令書第一および第二記載の認定ならびに判断のとおりで正当であるから、原告の本訴請求は失当である。

(参加人の主張)

(一) 本件命令の主文および理由によつて明らかなとおり、原告の参加人組合に対する支配介入の手段方法は、昭和四〇年六月三〇日付告(乙第二号証の甲一)、同年七月二日付告(乙第二号証の甲二)および同年七月三日付告(乙第二号証の甲三)を各掲示したことならびに組合脱退届(乙第二号証の甲六)、「再建に関する具体的措置」と題する文書(乙第二号証の甲四)、「親愛なる従業員諸君並に家族の皆様へ」と題する文書(乙第二号証の乙一〇)および「重ねて親愛なる従業員各位と御家族の皆様へ」と題する文書(乙第二号証の乙一一)を各配布したことであるところ、それぞれ、昭和四〇年六月三〇日付告は組合脱退者に対して経済利益の提供を約束したもの(利益誘導)、同年七月二日付告は組合残留者に対して退社を勧告したもの(威嚇報復)、同年七月三日付告はチエツクオフを一方的に廃止宣言したもの、「再建に関する具体的措置」と題する文書は組合残留者に対して解雇を予告したもの(威嚇、報復)であり、また、「親愛なる従業員諸君並に家族の皆様へ」「重ねて親愛なる従業員各位と御家族の皆様へ」と題する各文書は組合員およびその家族へ宛てた争議切崩し文書として、以後の一連の組合破壊工作への出発点となつたもので、使用者たる立場で従業員たる組合員を非難し、組合個々人の萎縮をねらつたものとして威嚇的要素を含む文書であることが明らかである。

これらの各文書が原告により作成され、掲示または配布されたこと、また、参加人組合員に広く手交され、周知されたことは証拠上明白であつて、原告の支配介入意思は、右の各文書の文言内容自体から容易に推認されるところである。

(二) 原告は、右各文書が組合残留者または脱退者を名指しにせず、再建非協力者または協力者という表現を使用していることを目して、参加人組合または所属組合員の実態が再建に非協力的であつたがゆえに、結果的には再建協力者と認めえず、そのため不利益取扱をしたにすぎなく、それはまさに企業経営上の基準にもとづく判断の結果であつて、支配介入とは無関係であると主張する。

しかし、行為類型上客観的に支配介入の事実があつても、それが企業経営上の判断からなされたものであれば、支配介入意思は認められないというような法理を認める立場はどこにも存しないから、原告の主張は全くの詭弁というべきである。

いやしくも行為の類型として、客観的に支配介入の事実があれば不当労働行為は成立し、使用者の反組合的意図の存在は要件として不要であり(最高裁判所昭和二九年五月二八日第二小法廷判決参照)、仮にそれが必要であるとの立場をとつたとしても、かかる意思は、客観化された行為、すなわち本件においては、各文書の内容や松田課長の外形的言動、チエツクオフの廃止、組合脱退届の配布自体により十分推定されるところである。

(三) また、原告は、参加人組合の組合員多数の脱退の要因を考えるにあたつては、当時の客観的事情、とくに原告会社の経済状態、参加人組合における批判勢力の抬頭といつた事情などを十分顧慮すべきであると主張するが、それらは全くの事情であつて、本件の争点になんらの関係もない。

(四) よつて、本件における支配介入の成立は至極当然であつて、原告がいかなる反証をもつてしても覆しえないものである。

したがつて、本件命令は、極めて正当なる救済命令であつて、なんら違法と目すべき点はない。

第三、証拠〈省略〉

理由

一、原告主張の請求の原因(一)、(二)の事実は当事者間に争いがない。

二、請求の原因(三)、(1)の主張について

原告は、本件命令は事実の認定ならびに判断を誤つてなされた違法があると主張するので、まずこれについて判断する。

(一)  別紙命令書の理由第一記載事実のうち、一(一)、(二)の事実二(一)ないし(一一)の事実(ただし、同(二)の事実中、ストライキ権確立に関する部分ならびに同(五)の事実中、「未完成フイルムを社外に搬出するときは、組合と話合つて実施する。」と決められていたとの部分は除く。)、三(一)の事実(ただし、相談を受けた者は一様に会社の解散に反対したとの部分は除く。)、同(二)の事実中、会社が記載のとおり文書を配布したこと、同(三)の事実、同(七)の事実中、社長が記載のような趣旨の発言をしたこと、同(一〇)の事実中、社長が記載のとおり再建協定を締結し、また記載のとおり一部従業員と面会したこと、同(一四)ないし(一七)の事実、四(二)の事実中、仮事務所の設置に関する部分、同(三)ないし(五)の事実(ただし、同(五)の事実中、末段記載の「この掲示を見た組合員は」以下の部分は除く。)、同(一〇)、(一一)の事実、同(一二)の事実中、従組が該文書を掲示したことならびに京撮支部執行員らが該抗議をしたこと、同(一五)の事実、五(一)ないし(三)の事実は、いずれも当事者間に争いがない。

(二)  別紙命令書の理由第一、二(二)の事実中、ストライキ権確立に関する部分ならびに同(五)の事実中、「未完成フイルムを社外に搬出するときは、組合と話合つて実施する。」と決められていたとの部分は、成立に争いのない乙第一号証の九により、同三(一)の事実中、相談を受けた者が一様に会社の解散に反対したとの部分は、成立に争いのない乙第一号証の一九により(ただし、その反対のしかたは、解散といつたことは考えないで、何か対策を考えて頑張つてほしいというような趣旨のものであつたことが認められる。)、同(二)の事実中、会社が組合の闘争方針を非難したとの点は、成立に争いのない乙第一号証の二一、同乙第二号証の甲八(同号証の乙一一と同じもの)、乙一〇により(原告は、「会社の立場において、企業の実状に対する認識を訴えたにすぎない」と主張するが、それに止どまらず、組合の闘争方針を非難しているものであることは該二通の文書の内容自体からこれをうかがうに難くない。)、同(四)の事実は、成立に争いのない乙第一号証の三二、三八、乙第二号証の乙五により(ただし、もし中闘で拒否された場合には、「退場して組合を脱退するということが決定された。」とあるのは、単に「退場することが決定された。」とするのが正確である。)、同(五)ないし(八)の事実は、乙第一号証の三二、三八により(ただし、同(七)の事実中、社長が記載のような発言をしたとの部分は当事者間に争いのないところである。)、同(九)の事実は、乙第一号証の三二、成立に争いのない同号証の四〇により、同(一〇)の事実中、社長が記載のような内容の発言をしたことは、成立に争いのない乙第一号証の五七によつて真正に成立したものと認められる乙第二号証の甲一五により、同(一一)の事実は、成立に争いのない乙第一号証の四二により、同(一二)の事実は、成立に争いのない乙第一号証の四四により、同(一三)の事実は、成立に争いのない乙第一号証の一五、四二、四四により、同四(一)の事実は、成立に争いのない乙第一号証の四六、四八、五三、証人松田惇の証言により(ただし、「労政課に呼び出し、」とあるを「労政課に呼び出したさい、」と改める。)、同(二)の事実中、仮事務所の設置に関する部分を除く事実は、乙第一号証の四四、成立に争いのない乙第二号証の乙二により、同(五)の事実中、末段記載の「この掲示を見た組合員は、」以下の部分は、成立に争いのない乙第一号証の一一、四六、四八、五六、証人西坂一男の証言により、同(六)の事実は、乙第一号証の四二、四四、成立に争いのない乙第二号証の甲二、甲一一により、同(七)の事実は、乙第一号証の四二、四四、成立に争いのない乙第二号証の甲一〇、甲一二により、同(八)の事実は、乙第一号証の四四、乙第二号証の甲一二、成立に争いのない同号証の甲一三により、同(九)の事実は、乙第一号証の一五により、同(一二)の事実中、従組が該文書を掲示したとの部分ならびに京撮支部執行委員らが該抗議をしたとの部分を除く事実は、乙第一号証の一五、四四、四六、乙第一号証の四六によつて真正に成立したものと認められる乙第二号証の甲六、乙第一号証の五七によつて真正に成立したものと認められる乙第二号証の甲七、証人松田惇、同西坂一男の各証言により、同(一三)の事実中、「松田が小林に対し、組合に所属していながら会社の再建に協力するとは考えられないとのべた。」との部分を除く事実は、乙第一号証の五三、証人松田惇(一部)、同西坂一男の各証言により、同(一四)の事実は、乙第一号証の一五、四四、四六、成立に争いのない乙第二号証の乙七、乙八により(組合員数が昭和四〇年七月一〇日ごろは三四人であつたことは当事者間に争いがない事実である。)、同(一六)の事実は乙第一号証の一五により、同(一七)の事実は乙第一号証の四八により、いずれもこれを認めることができ、また乙第一号証の四六によれば、松田惇は、昭和三八年六月以降原告京都撮影所労政課(后に人事課と改称された。)の長の職にあり、非組合員であることが認められ、以上の各認定に抵触する証拠は措信しがたく、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(三)  以上の認定事実によれば、昭和四〇年六月二八日組合脱退者の代表と社長との再建協定締結後組合脱退従業員と会合したさいにおける社長の発言、会社が昭和四〇年六月三〇日および同年七月二日付「告」と題してなした各掲示、印刷物「再建に関する具体的措置」と題する文書の配布、チエツクオフの一方的廃止宣言ならびに組合脱退報告書の配布など京撮支部における原告の利益代表者松田課長の言動等、当時における原告会社の一連の諸行為は、次に詳しく考察するとおり、明らかに参加人組合に対する支配介入行為であるといわなければならない。

(1)  原告は、本件命令の基本的な誤りとして、参加人組合の組合員多数が脱退したのは、組合執行部に対する内部批判勢力の強い不満が爆発した結果であつて、原告側の支配介入というような他動的な原因によつて発生した現象であるとはとうてい理解できないのみならず、一方、当時における原告会社の経済状態としても営業内容の大幅な改革を企図していたおりであり、組合の分裂を策してその上に姑息な方針を樹立しようとするようななまやさしい事態ではなかつたにもかかわらず、被告は右のような当時の客観的事情について十分顧慮を払うことなく、事実認定ならびに判断をしたと主張する。

なるほど、前記認定のとおり、組合執行部に対して批判的であつた関西支部をはじめ北海道、中部および九州の各支部が、組合の従来の闘争方針に反対して企業防衛的な態度をとり、中闘において執行部と決裂するや、あいついで組合脱退を決定するにいたり、つづいて京撮支部の組合員もこれらと行動をともにしたこと、また、当時原告会社は、映画産業の衰退と春闘およびフイルム搬出事件等会社内における労使の厳しい対立などを理由に、事業解散ないし京撮閉鎖を考慮するような窮迫した事態におかれていたことは、原告のいうとおりである。

しかしながら、前記組合員多数の脱退は、あくまで現実の結果であつて、支配介入の成立には結果の発生は必ずしも必要としないから、むしろ本件で問題とされなければならないのは、右結果の要因ではなくて、組合の運営につき自主性を阻害する恐れのある原告の支配介入行為が存したか否かにあるというべきである。

(2)  かかる観点に立つてこれをみるに、組合脱退者との会合のさいにおける社長の発言は、中労委の裁定を公然と否認し、組合の存在を無視する態度を表明し、組合脱退者に対する好意歓迎を暗示したものとみられ、この直後に京撮支部において組合員多数が脱退したことは、原告主張のような他の要因があずかつていないとはいえないとしても、前記社長の言動が大きな影響を与えたであろうことが容易に推認される。

(3)  原告が、昭和四〇年六月三〇日付「告」と題して、「組合脱退者との間に締結した再建協定は、これを締結した該当者のみに適用する。」旨を明記して、掲示したことは、当時の社長の言動その他前後の経緯からして、組合残留者には右協定を適用しないとの意思を表示したものと解せられる。

(4)  また、同年七月二日付「告」については、前記認定のとおり、会社は、当時組合が被解雇者を含まぬ団交をもつことおよび再建協定に同意する旨申し入れたのに、組合員多数の脱退によつて客観的情勢が変化しており、闘争態勢を解いて会社再建の意思を示せば団交に応じるとしてこれを拒否し、さらに京撮支部が同年七月一日まいたビラをもつて一方的に再建に協力する意思が認められないと断定し、その組合所属の従業員も同様の意思を有しているとして、組合に残留しているかぎりは再建非協力者として解雇の対象となることを暗示したなどの事実を合せ考えてみると、再建協力と組合脱退とは不可分の関係にあることを示唆し、組合脱退を慫慂しているものと認めるのが相当である。この点に関し、原告は、参加人の所属組合員が会社の再建に非協力的であつたがゆえに、結果的に同人らに対する再建協定の適用が、他の従業員に比して延引したにすぎず、原告の右各行為は、企業経営上の基準にもとづく判断の結果であると反論するが、企業防衛上の考慮が全く存しなかつたとはいえないとしても、原告の右主張は、前記理由によりとうてい採用できない。

(5)  「再建に関する具体的措置」と題する文書は、「再建に反対し、あるいは協力にとぼしい者については余剰人員として指名解雇を行なう。」と明記している事実からみれば、前記原告の「告」と題してなした掲示行為に関して説示したのと同一の理由により、会社は組合残留者に対して解雇の制裁をほのめかしながら、再建に協力することを強要していることが明白にうかがわれるのであつて、原告の主張するように、単に企業経営上の判断からのみされたものとは認めがたい。

(6)  チエツクオフの廃止については、従来慣行的に行なわれてきたチエツクオフを組合と協議することなく突如として一方的に、しかも組合脱退者が続出しているさなかにわかに廃止したことは、組合運営の混乱と組織の弱体化を期待してなされたものと評価されてもやむをえない。原告は、従業員の所属関係が不明瞭で、従来のような取扱を継続することが不適当となつたことによるものであると主張するが、仮に右主張にそう証拠があつたとしても、右評価を覆すに足らないことは自明である。

(7)  その他「親愛なる従業員諸君並に家族の皆様へ」および「重ねて親愛なる従業員各位と御家族の皆様へ」と題する各文書は、組合の闘争方針を非難したもので以後の組合分裂の端緒となつたことが認められ、しかも、右各文書は、その時期、方法、対象などを総合して判断するときは、明らかに組合運営に関してなされた会社の干渉的言動と解される。

(8)  会社が配布した組合脱退報告書は、組合員に配布している事実に徴して、組合からの脱退を奨励し、ひいては組合の弱体化を意図したものとみるほかはない。組合脱退報告書が京撮労政課で印刷され、松田課長から各部課長に渡されたさい、各部課長のもとに用紙をおき申出者の署名をもつてくるよう指示したことは前記認定のとおりであるが、かかる手続は組合員自体が行なうべきであつて、所属部課長を通じて署名押印を求めることは、明らかに組合脱退を強要したものといわざるを得ない。原告は、右文書の配布が支配介入とは無関係の趣旨でなされたことが当事者間に了解ずみで、円満に落着をみた問題であるというが、必ずしもそうとはいえないことは前記認定のとおりであつて、右主張は取り上げるに由ないものである。

(9)  松田課長が組合員の小林に対し、三回にわたり再建協力の意思の確認を行ない、かつ態度決定を迫つた行為は、組合からの脱退を心理的に強制した行為であると認めざるをえない。

ところで、原告は前記「親愛なる従業員諸君並に家族の皆様へ」および「重ねて親愛なる従業員各位と御家族の皆様へ」と題する各文書ならびに右松田課長の言動は、原告会社の窮状を社員およびその家族に訴え、また組合活動に関する個人的見解を伝えているにすぎず、いずれも言論の自由の範囲内にあるというが、憲法第二一条の保障する言論の自由といえども、同法第二八条の規定する勤労者の団結権等を侵害することができないのはもちろんであつて、前記認定のごとき趣旨の右各文書および松田課長の言動は、労働組合法第七条第三号に違反し、憲法に保障された言論の自由の範囲をこえるものといわなければならない。

(10)  以上の次第であつて、前記原告会社の一連の諸行為は、まさしく労働組合法第七条第三号に該当する支配介入であつて、これと同一の判断をした本件命令はもとより正当であるから、この点について本件命令の違法をいう原告の主張は、失当であるといわなければならない。(なお付言するに、原告は、被告が証拠資料のうち一部のもののみを採用し、特段の理由を示すことなく反対証拠またはそれに関連する状況証拠を排除したと主張するけれども、労働委員会は、その調査審問によつて得た証拠その他の資料にもとづいて事実を認定し、その認定にもとづいて申立人の請求にかかる救済を認容し、または申立を棄却する命令を発するのであつて、民事裁判の判決におけるがごとき厳格な証拠説明を要求されるものではないから、その認定事実に誤りさえなければ一々証拠の取捨判断を示す必要はないものというべく、したがつて証拠資料のうち一部のもののみを採用し、反対証拠またはそれに関連する状況証拠を排除するについて特段の理由を示していないからといつて、本件命令を違法とすることはできないこと多言を要しない。)

三、請求の原因(三)、(2)の主張について

原告は、参加人組合が労働組合法第二条の規定に適合せず、救済命令を受けることができないのにかかわらず、被告がこれに対し本件命令を発したのは、違法であると主張する。

しかし、労働組合法第五条第一項の立法趣旨は、組合が同法第二条および第五条第二項の要件を具備するように促進するという国家目的から、組合が右各法条の要件を具備するかどうかを審査し、この要件を欠く組合の救済申立を拒否すべきことを労働委員会に義務づけたものにほかならず、使用者の法的利益の保障を考慮したための規定ではない。それゆえ仮に資格審査の方法ないし手続に瑕疵があり、もしくは審査の結果に誤りがあるとしても、使用者は、組合が第二条の要件を具備しないことを不当労働行為の成立を否定する事由として主張することにより救済命令の取消を求めうる場合のあるのは格別、単に審査の方法ないし手続に瑕疵があること、もしくは審査の結果に誤りがあることのみを理由として救済命令の取消を求めることは、自己の法律上の利益に関係のない違法を理由として取消を求めるものであるから、行政事件訴訟法第一〇条第一項により、許されないものと解すべきである(最高裁判所昭和三二年一二月二四日第三小法廷判決参照)。したがつて、原告の前記主張は、その余の判断をなすまでもなく、失当として排斥を免れない。

四、よつて、原告会社の掲示、印刷物、あるいはその利益代表者の言動等が労働組合法第七条第三号に該当するとして発した被告委員会の本件命令は正当であるから、その取消を求める原告の本訴請求は失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担について、行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条、第九四条後段を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 松本正一 常安政夫 竹原俊一)

命令書

(京都地労委昭和四〇年(不)第一五号 昭和四二年一一月六日命令)

申立人 映演総連大映労働組合

被申立人 大映株式会社外一名

主文

一、被申立人は、掲示をなし、印刷物および組合脱退報告書用紙を配布したりして、被申立人の再建計画を従業員に示し、これに協力しない者には退社をもとめる場合があるとして、暗に申立人組合から脱退することを強要し、申立人組合の弱体化をはかるような支配介入を行なつてはならない。

二、被申立人は、つぎの文書を申立人に提出するとともに、同内容の文章を、縦一メートル、横一・五メートルの大きさの模造紙に墨書し、被申立人会社京都撮影所内の最も見やすい場所に七日間掲示しなければならない。

会社は、昭和四〇年六月三〇日付および同年七月二日付の従業員に対する「告」と題する掲示をなし、同月五日組合脱退報告書用紙を配布し、さらにそのころ「再建に関する具体的措置」と題するビラを配布するなどの方法によつて、被申立人の再建計画を従業員に示し、これに協力しない者には退社をもとめる場合があるとして、暗に申立人組合から脱退することを強要したことは、組合運営に対する支配介入であつたことを認め、今後はこのようなことはしません。

以上京都府地方労働委員会の命令により誓約します。

昭和  年  月  日

映演総連大映労働組合

中央執行委員長 西坂一男殿

大映株式会社

代表取締役 永田雅一

三、大映株式会社京都撮影所長鈴木昭成に対する救済申立は、棄却する。

理由

第一認定した事実

一 当事者

(一) 被申立人大映株式会社(以下会社という)は、肩書地に本社を、東京および京都に撮影所を、北海道(札幌)・関東(東京)・中部(名古屋)・関西(大阪)・九州(福岡)の五箇所に支社を有し、本件申立当時従業員約一、七五〇人を擁し、映画の製作および配給を主たる業としている。

(二) 申立人映演総連大映労働組合(以下組合という)は、会社の前記各事業所の従業員によつて組織された労働組合であり、前記各事業所にそれぞれ支部を有し、映画演劇労働組合総連合に加盟している。組合員数は昭和四〇年六月二〇日ごろは約一、五〇〇人であつたが以後漸次減少し、同年七月一〇日ごろには四三人となつた。組合京都撮影所支部(以下京撮支部という)は、京都撮影所(以下京撮という)に勤務する従業員によつて組織された組合の支部であり、同支部の組合員数は昭和四〇年六月二〇日ごろ五一六人であつたが以後漸次減少し、同年七月一〇日ごろには三四人となつた。

二 昭和四〇年春闘の概要

(一) 昭和四〇年三月一五日、組合は会社に対し、七、〇〇〇円のベースアツプを含む九項目にわたる諸要求を提出した。上記要求に基づいて同年四月五日および同月一五日の二回、東京撮影所(以下東撮という)において、労使双方によつて構成されている経労協議会(以下経労協という)が開かれ、第一回目の経労協では会社から回答が出されるに至らなかつたが、第二回目の経労協において、ベースアツプについては他社が回答していないとしてゼロ回答であつたので組合は団体交渉に持ち込んだ。上記団交は同月二三日、三〇日および五月七日の三回にわたつて本社において開かれた。会社はその都度回答をしたが組合はこれを不満として妥結をみなかつた。

(二) 組合は、同年四月一四日、春闘に関するストライキ権を九〇・五パーセントの賛成投票をもつて確立し、同月一六日以降時間外拒否闘争にはいり、同月二三日から五月二二日東撮において未完成フイルムが社外に搬出されるまでの間、数次にわたり時限スト、指名ストを行なつた。

(三) 五月一七日、会社は第四回団交を同月二二日に開く旨組合に通知して来た。

(四) 会社は、同月一八日、企画会議において当時、封切中の映画「証人の椅子」の興行成績が悪いので東撮において撮影中の次回上映作品「雲を呼ぶ講道館」の封切を急遽二日間繰り上げて同月二七日と決定し、同作品の完成については組合に対して時間外作業を要請するが、最悪の場合は社外で完成することも辞さないと決定した。

(五) このような会社の動きを察知した組合は、昭和三九年にも類似した事件があり、その時の組合と東撮所長との間の約束事項として「今後未完成フイルムを社外に搬出するときは、組合と話し合つて実施する」と決められていたので、これにしたがい、五月一九日午後、池広利夫東撮所長(以下池広所長という)に会見を申し入れたが拒否され、藤吉総務部長と会談した。しかし時間外作業を組合が拒否したので話し合いはつかなかつた。その後同日午後四時ごろ池広所長は組合中央執行委員長石井勝一(以下石井という)、同書記長柿崎光男(以下柿崎という)、東撮支部書記長上原清治(以下上原という)、同副委員長長尾(以下長尾という)らを呼んでさらに時間外作業について協力をもとめたが、組合は時間外作業をしなくても社内で十分完成できるとしてこれを拒否した。

(六) 同月二一日朝、会社側から池広所長、平林技術部長、渡辺労政課長、佐竹製作課長、組合側から石井、柿崎、上原、長尾らが出席して会議したが結局話し合いがつかず、池広所長は企画会議の申し合せに基づき「雲を呼ぶ講道館」の未完成フイルムの社外搬出を宣言し、平林技術部長に指示した。

(七) 同日、会社は直ちに前記フイルムの搬出を試みたのに対し、組合は話し合いが終るまでは前記フイルムを搬出しないでほしいと要請したが、搬出をやめないので、組合は同日正午から東撮にピケツトラインをはつた。これに対して会社は同日午後三時三〇分東撮の事業場閉鎖を行なつた。その後も組合は池広所長に対し、再三再四話し合いの申し入れをしたが拒否された。

(八) 同月二二日午前六時すぎから同七時三〇分ごろにかけて、会社は警官隊の応援を得て前記フイルムの搬出に成功した。会社は同日午前九時をもつて前日通告した東撮の事業場閉鎖を解除した。なお搬出された前記フイルムは、アオイスタジオにおいて同月二五日完成された。

(九) 前記フイルムの搬出に成功した会社は、同日、石井、組合中央副委員長秋山辰雄(以下秋山という)、柿崎、東撮支部長細川啓一、長尾および上原の六人を業務の妨害を指揮命令したとして就業規則にてらし懲戒解雇すると通告し、同時に前記六人について爾今、会社の全事業場への立ち入りを禁止した。

(一〇) 組合は、会社が指定した団交日である同月二二日に前記のような事情で団交を拒否されたので、同月二四日組合を代表して秋山が団交申入書をたずさえて本社正門まで来たところ、本社総務課長および同人事課長によつて本社内に立ち入ることを阻止されたが、結局、人事課長との話し合いで労政課まで行き、係長に前記申入書を手渡した。

(一一) 同日、会社は、被解雇者を含む団交には応じないが、被解雇者を除いた団交にはいつでも応じる用意があるので団交に出席するメンバーをあらかじめ知らせてほしい旨の文書を掲示した。

三 組合の分裂と会社の組合脱退等の勧奨について

(一) 会社は、昭和四〇年五月二二日に行なわれた前記フイルム搬出後、六月初旬にかけて数回にわたつて重役会を開き、映画産業が著しく衰退してきたこと、春闘および前記フイルム搬出事件等会社内における労使の対立がきびしいことなどを理由に、経営意欲を失なつたとして、最悪の場合は会社を解散することもあり得ると決定し、これを週間誌、新聞に発表した。ついで同月一四日、東撮の専属契約者および本数契約者を集めて会社の実情を話し、会社の解散について相談し、同月一七日、京都在住の契約者に対しても同様の話をした。さらに同月一八日、一〇万株以上の大株主を集めて会社の解散について相談した。これに対し、相談を受けた者は一様に会社の解散には反対し、会社の再建について出来る限りの協力は惜しまない旨表明した。

(二) 会社は、同年五月二七日および六月一七日の両日にわたり、それぞれ「親愛なる従業員諸君並びに家族の皆様へ」「重ねて親愛なる従業員各位と御家族の皆様へ」と題する文書を全従業員の家族に配布し、組合の闘争方針を非難し、会社再建に協力するよう要請した。

(三) 組合は、同年六月中旬、中央労働委員会(以下中労委という)に団交あつせんの申請をした。

(四) 同月一六日、組合執行部に対して批判的であつた関西支部の呼びかけで、北海道、中部および九州の各支部員三三人が情報交換のため宝塚にある紫霞荘で会合した。席上、被解雇者六人を含まない団交を即時もつこと、経済闘争を早期に解決し、企業の防衛をはかることなどが申し合わされ、これを各支部ではかり賛否投票をとり、さらに中央闘争委員会(以下中闘という)に提案すること、もし中闘で拒否された場合には退場して組合を脱退するということが決定された。

(五) 同月二〇日、翌二一日から開かれる中闘に出席するため、北海道、中部、関西および九州の各支部から委員およびオブザーバーら約二〇人が上京し、宿に集まり前記宝塚における決定、情報等を持ちより、中闘での議事の進め方、提案の仕方、否決されたときの態度について意思統一した。

(六) 同月二一日から三日間にわたつて開かれた中闘には、前記約二〇人の委員およびオブザーバーも出席した。席上、関西支部の前田委員長から「このままの状態では就労の場もなくなるような重大段階にきたと思う、早期に経済闘争を解決するため被解雇者六人を含まぬ団交を即時もつこと、六人の問題は別の方法で解決すべきであること」を緊急動議として提案した。これに対し組合幹部から議事が混乱するとの発言があり、前記提案の審議は翌日に持ち越された。二二日、この提案の審議がなされたが難航したため、前田委員長は、「帰つて新しい組合を作ることになるだろう」と発言した。そこで執行部は新提案をするため休憩をとつたが、その間に前記オブザーバーらは退場した。

(七) 翌二三日午後三時すぎ、中闘から帰つてきた委員と待機していたオブザーバーらが宿で落合い、かねての方針に基づき午後四時ごろ関西支部の黒岩末吉(以下黒岩という)が会社の松山常務に電話で北海道、中部、関西および九州の各支部の者が宿に集つているので至急代表取締役永田雅一(以下社長という)に会いたい旨連絡し、黒岩ら四支部の者は午後五時すぎ社長と面会した。席上、各支部から、「社長が大株主や契約者を集めて会社解散、プロダクシヨン・システムに移行するとの体制を考えていることを新聞や情報で知り非常に心配している、従来のままの機構でやることが好ましい」との発言がなされた。これに対し社長は「誠に少数だが諸君らがそういう気持になつてくれるならば考えをかえよう、プロダクシヨン・システムのようなことも考えたがそれは一応思いとどまろう、力を得た感じがする」と述べた。

(八) 関西支部は、同月二四日大会を開き賛成七七票、白紙一票(全投票数七八票)で組合から脱退することに決定した。

(九) 同月二六日、関西支社で新組合結成準備会がもたれたが、この時点では北海道、中部および九州の各支部とも組合脱退の投票を行ない、組合に脱退届を提出していた。

(一〇) 同月二八日、社長は前記組合脱退者の代表と東京赤坂のホテルニユージヤパンで会合をもち、昭和四〇年から向う三年間の安定賃金等を含む再建協定を締結した。さらに社長は、同日午後四時一〇分より東撮支部を脱退した一部従業員とも会合をもち、「現在のままで大映労組が行動をとつたならば近々にも会社の閉鎖を画していたが、本日営業四部会ならびに東撮有志の一部組合脱退者など再建提案者との会合を持ち意を強くした。諸君らが大いに大映再建を画してくれるならば社長としても最後まで会社存続を誓う」という趣旨の発言をし、さらに組合が中労委に団交あつせんの申請をしたことに関し、「いかなる事態になつても、六人の解雇者を除いても再建者同志以外のいかなる団体とも話し合いは持たない、中労委がいかなる裁定を下そうともうけつけない、社長にとつて不利になつた場合罰金を払えば済むのだから」とか「今後いかなる状態になつても再建委員会同志より犠牲者は絶対出さない・・・・・会社側の再建協定案に不満な従業員は速やかに退職して貰つて結構である」と述べた。

(一一) 一方、関西支部等の組合脱退の動きを黒岩から聞知した京撮支部の山本芳郎(元組合委員長、以下山本という)は、同支部組合員の今井博、森田富士郎、高瀬一政、森下喜市、荒木三郎、村上忠男、大菅実、財前定生、清水尚太郎、勝井利美ら一四、五人と同月二〇日ごろ京都駅前タワーホテルで会合をもち、組合分裂を回避し、闘争の現状を打破するため被解雇者を含まない団交をもつこと等を決定した。山本らは同月二四日および二八日に開かれた京撮支部大会で宝塚会談ならびにタワーホテルにおける会合の決議事項を提案したが否決されたので、組合から脱退することを決意した。

(一二) 同月二八日、京撮従業員の池本達(以下池本という)ら一三人は京都駅前の食堂に集まり、製作主任の大菅実からタワーホテルでの会合の報告を聞き、京撮閉鎖に対する不安、組合執行部への不満から一二人が組合から脱退することを決定し、会社の再建案に同意することになつた。そこで池本らは組合運営の詳しいルールを知らないし、山本らが組合問題に詳しいので、前記(一一)記載の山本ら一四、五人と意見の一致をみれば一諸に行動してもよいとの結論に達した。

(一三) 同月二九日山本らは、会社の製作部の部屋を借り受け組合脱退届の用紙を印刷して同志を募つたところ、三、四〇人の同調者があつたので、翌三〇日脱退届に署名して代表がこれをまとめて京撮支部へ持参したが受け付けられなかつたので、脱退者一覧表を組合本部あて内容証明郵便で郵送した。

(一四) 会社は、同月三〇日京撮ほか全事業場の従業員に対し「告」として「今般関西支社、九州支社、中部支社、北海道支社に所属する全従業員並びに東京撮影所の組合脱退者一同と、去る六月二八日左の再建協定を締結した。左記の各項は、この協定を締結した該当者のみにこれを適用します」との掲示をして再建協定の労働条件を示した。

(一五) 組合は、前記脱退者の動きなどから事態収拾をはかるため、同月三〇日、会社に対し、被解雇者を含まぬ団交をもつことおよび会社が六月二八日に提示した再建協定に同意する旨文書で申し入れた。これに対し会社は同日、「対組合問題について著しく客観情勢が変つている現在、闘争態勢を解かない従来の労働組合と折衝することは無意味であるので拒否する。但し闘争態勢をといて会社再建に協力する意思があればいつでも折衝する」との掲示を行なつた。

(一六) 組合は同月末、東京地方裁判所(以下東京地裁という)に団交応諾の仮処分を申請した。

(一七) 同年七月九日東京地裁は、「組合代表者たる石井勝一はじめ六人を嫌悪することで団体交渉を拒否してはならない」との趣旨の仮処分命令を発した。

四 京撮における会社、組合および組合脱退者の言動について

(一) 昭和四〇年六月末ごろ、京撮労政課長松田惇(その後職名変更により人事課長となる。以下松田という)が、七月一日付で社員に任用される越智道英(以下越智という)、小林千郎(以下小林という)ほか二人の助監督を労政課に呼び出し、「労働協約もないから組合に加入するかしないかは自由である」とか「助監督が全員ストライキをしても他から臨時を雇つて仕事をしても法的には問題ない」という話をした。

(二) 同月三〇日、京撮支部脱退者は「現組合の不定見に対し行動を一にすることができなくなつた」として組合脱退声明を発表し、同日ごろ大映京都撮影所再建準備委員会(以下京撮再建委員会という)を結成し、会社製作部の応接室を借り受け仮事務所とした。

(三) 同年七月一日京撮支部は、「われわれは譲るだけ譲つた、六人もはずし、闘争態勢も解いた、これ以上何を望むのか、団結の環はますます固い・・・」という支部の決意を表明するビラを出した。なお組合は同日、会社に賃上げについての団交を申入れた。

(四) 同日、京撮再建委員会を代表して池本、今井および村上が上京し、本社で社長と会談した。そのさい京撮再建委員会加入者が一〇七人に達したことや京都における状況を述べたところ社長は、京撮支部は闘争態勢を解いたといつたが今朝のビラをみれば解いていないではないか、京都は脱退者が一〇七名もあればそれだけでやつて行こう。公示した条件は会社の再建協力者に対するもので、旧労に示したものではないという趣旨の話をした。

(五) 同月二日、会社は社長名により京撮従業員あてに「告」として「この重大危機に闘争のための闘争をのみ意図する人との間には交渉をもつ意志はない・・・従業員諸君のうち、この重大危機を自覚し、会社再建に協力することをこころざす人は来る七月八日午後五時三〇分(東撮の場合は七月三日午後五時三〇分)までにその旨表明されたい、会社はその時点において非協力者に対して退職を求める場合もあることをあらかじめ申添える」との掲示をし、なおこの末尾に再建に協力を約された人は七月一日午後五時現在東撮従来の組合員数五七〇名中四四三名、京撮五一六名中一二一名、本社、関東支社二二一名全員、各営業支社二〇六名全員であるという組合各支部の脱退者数が付記されていた。この掲示を見た組合員は組合に残留している限りは再建非協力者として解雇の対象となるので、組合からの脱退を強要するものであると受けとつていたし、また当時の京撮所長中泉雄光、松田も組合に所属しながら会社の再建に協力することはありえないと解していた。

(六) 同月二日京撮再建委員会は、会社再建に協力する者が一二一人に達したので、前記社長と会談した池本、今井、村上に京撮従業員田辺満、同小沢宏を含めた五人を実行委員として、「現状の重大性を充分理解し、新労働運動を展開する・・・」との宣言を発表した。

(七) 京撮再建委員会は、同日午後五時すぎ太秦小学校講堂において大会を開き、京撮再建委員会を発展的に解消して大映京都撮影所従業員組合(以下従組という)を結成し、前記宣言と同文のものを発表した。なお同大会で委員長に池本、副委員長に今井、同河本梅一、書記長に村上を選出した。

(八) 従組は、同月三日従組執行委員会のうえに会社の主宰する再建委員会を置くという組織の構想図を発表し、また会社と時間外協定を締結した。

(九) 京撮支部は、相つぐ組合脱退により事態収拾をはかるため残留組合員約四〇〇人が同年六月三〇日から四日間連続して大会を開き協議した。

(一〇) 同年七月三日会社は、突如従業員あて「告」として七月以降組合費を給料より控除しない旨の掲示を行なつた。これに対し、組合は従来の慣行を無視して一方的に会社がきめるのは納得できないとして会社に書面で抗議を申し入れた。

(一一) 同月五日京撮労政課で、「私は会社再建に全面的に協力し、映演総連大映労働組合を脱退致しましたので茲に御報告致します。」という組合脱退報告書が印刷され、松田から各部課長に渡された。そのさい同人は各部課長に申出者につき署名をさせて持つてくるよう指示した。

(一二) 同日、前記組合脱退報告書が各部課長から配布されることを知つた従組は、「本日会社より配布されます脱退届は単なる事務手続上の書類でありますので従組の皆様は全員署名捺印の上所属部課長に提出して下さい」という文書を掲示した。なお、うえに脱退届とあるのは前記組合脱退報告書をさすものである。

前記組合脱退報告書が組合員にも配布されたことを察知した京撮支部執行委員は、「露骨な支配介入であるので抗議するが、各人はこんなものは一しゆうされたい」とマイクで放送し、組合中央副委員長湯浅健次(以下湯浅という)が直ちに松田に対し、「上司を使つて脱退強要することは困る」と抗議した。これに対し松田は、「たんなる事務的なものだ」と答えたが、結局組合の抗議をいれて前記組合脱退報告書は労政課に回収せられた。

(一三) 前記四(五)の会社掲示の再建協力意思の申出期限である七月八日午後五時三〇分の直前に、松田は組合員小林に対し、三回にわたり「本社へ報告する関係もあり、出さないならいつてくれ・・・組合に所属していながら会社の再建に協力することは考えられない」と述べ、小林に態度決定を迫つた。

(一四) 同月八日、京撮支部組合員の有志数名を中心に大映復興同志会(以下同志会という)という親睦団体が結成され、二八〇人が京撮支部を脱退してこれに加入した。このため同支部残留組合員は三四人に激減した。前記同志会は後に発展的に解消して大映京都撮影所新労働組合を結成した。なお京撮では再建には協力するがどの組合にも属さない者も出てきた。

(一五) 会社は、同月一〇日ごろ印刷物「再建に関する具体的措置」を組合脱退者を中心に配布した。その主な内容は〈一〉東西撮影所の機構を大幅に統合整理する。これによつて定員の縮減をはかり、小数精鋭主義、能率主義に徹する。〈二〉再建に反対し、或いは協力に乏しい者については、余剰人員として指名解雇(就業規則第六六条一項九、一〇号による予告解雇)を行なう等一一項目にわたるものである。

(一六) 組合は、前記「再建に関する具体的措置」のうち前記〈二〉につき特に再建に関する熱意の測定に問題があるとして削除方を会社に申し入れ、数回交渉をもつた。

(一七) 越智は、同月八日組合を脱退し従組に加入したが、その後昭和四一年一〇月組合に復帰した。そのさい京撮製作部長に呼び出され、「助監督という立場から他に対する影響も考えて、お前らどうするつもりなんだ」といわれた。

五 組合員に対する会社の差別取り扱いについて

(一) 昭和四〇年七月一六日および同月二四日に東京地裁の団交応諾の仮処分命令により団交が開かれた。席上、会社は組合に対し、組合脱退者に示した金額とは異なる差別した回答しかしなかつた。さらに組合脱退者には七月に夏期一時金を支給し、昇給についても六月にさかのぼつて行なつているにもかかわらず、会社は組合に対しては八月ごろ夏期一時金、昇給について組合脱退者にくらべて約半額という回答をなしたので組合はこれを拒否し、東京地裁に差別待遇禁止の訴を提起した。

(二) 組合は、同年八月二五日さきに会社が提示した再建協定をのむと回答し、この結果夏期一時金、昇給については組合脱退者と同一の条件で妥結し、同月末支給された。

(三) その後組合は、昭和四〇年の年末一時金を会社に要求し交渉をもつたが、当時組合に所属していた組合員に対し、平均を下廻る回答(差別額平均約一万円)をした。これに対し京撮支部は京撮所長にただしたところ「再建協力を約したのが他の人たちより二箇月遅れていることも考慮すべきだ」といわれた。

第二判断

以上認定した諸事実をもつて、組合は、会社が掲示、印刷物等により組合脱退者には再建協定を適用するが、残留者には適用しないことを明言したこと、組合脱退を期限付で脅迫的に勧誘したこと、再建非協力者には指名解雇するとして組合残留者を畏怖させたこと、従来慣行として行なつてきたチエツクオフを一方的に中止したこと、京撮における課長の言動等は、連続した組合破壊攻撃により組合組織の崩壊を意図したものであつて、労働組合法第七条三号に違反する不当労働行為である、と主張するに対し、会社は、(一)組合が本件と同一の事案につき昭和四〇年七月一三日、東京都地方労働委員会(以下東京地労委という)に不当労働行為救済申立を行ない、現在東京地労委に係属中であるから、労働組合法施行令第二七条二項により、最初に申立を受けた東京地労委において処理されるべきものである。(二)申立書の記載自体において、その当事者および事実関係とも二以上の都道府県にわたることは明らかであるから、労働委員会規則第一八条に則つて中労委に対し、事件の管轄に関する報告をなし、中労委会長の決定をまつて本件を審理すべき管轄労働委員会が確定されるべきである等の理由により当委員会が本件について審査すべきでないと主張して却下をもとめ、また本案答弁として、再建協定は会社再建に熱意を有する従業員との間に締結したもので、組合脱退を勧誘する意図は全くない、昭和四〇年七月二日付「告」は、再建協定締結の時期に組合が非協力的、闘争的であつたので、あらためて再建に協力する意思の有無を確認するため期限をつけたもので、組合脱退とは無関係である、「再建に関する具体的措置」は、前記会社の措置を従業員に周知徹底させるためのものであり、またチエツクオフの廃止は他組合も同様実施したもので、原則的にはなんら義務づけられるものではない、再建協力意思表示の印刷物はこれを表明する者からの依頼で作成したもので、再建協力を希望しない従業員にまで交付する趣旨ではない、さらに組合脱退者が出たのは組合内部の事情によるもので、会社の掲示、印刷物等によつて惹起されたものではない、と抗弁し、棄却をもとめるので、以下これらの点につき判断する。

一 本件の管轄について

会社は、本件申立につき労働組合法施行令第二七条二項ならびに労働委員会規則第一八条により、当委員会に管轄権がないと主張するが、組合が本件で不当労働行為であると主張するのは、会社の行なつた京撮における昭和四〇年六月三〇日、七月二日、同月三日の文書掲示ならびに同月五日の組合脱退報告書の組合員に対する配布またはパンフレツト配布等の事実であり、請求する救済の内容も上記文書掲示等の手段による支配介入の禁止をもとめているのであるから、本件申立は会社の主張する労働組合法施行令第二七条二項にいう東京地労委に係属する不当労働行為事案と同一のものでないことは明らかであるから、上記会社の主張は採用し得ない。

よつて、本件申立につき当委員会が管轄権を有すること当然である。

そこで、進んで不当労働行為の成否について考えてみると、

二 会社の掲示、印刷物について

(一) 会社が昭和四〇年六月二八日組合脱退者との間に締結し、同月三〇日掲示した再建協定は、これを締結した該当者のみに適用する旨明記して、組合残留者には適用しないとの意思表示をしたものと解せられ、また前記認定のとおり社長が前記再建協定締結時に組合脱退者と会合したさい、「組合が六人の解雇者を除いても再建者同志以外のいかなる団体とも話し合いはもたない」「中労委がいかなる裁定を下そうともうけつけない」「再建委員会同志より犠牲者は絶対に出さない」との発言をしたことは、中労委の裁定を公然と否認し、組合の存在を無視する態度を表明し、組合脱退者に対する好意歓迎を暗示したものとみるべきである。なおこの直後に京撮支部においては組合員多数が脱退したことは、前記社長の言動が大きな影響を与えたであろうことが容易に推認される。

つぎに、会社の経済状態が映画産業の著しい衰退により年年急迫しつつあつたことは、事業解散ないし京撮閉鎖を考慮するに至つたと称する事情として首肯できないわけではないが、会社の業績が悪化したからといつて労働組合の運営に対する支配介入等の不当労働行為を為すことは許されるものではない。

(二) 同年七月二日付「告」については、前記認定のとおり当時組合は脱退者の動きなどから事態収拾をはかるため、会社に被解雇者を含まぬ団交をもつこと、ならびに再建協定に同意する旨の申し入れを行なつているにもかかわらず、会社は組合問題につき多数組合員の脱退によつて客観情勢が著しく変化しており、闘争態勢を解いて会社再建の意思を示せば団交に応じるとしてこれを拒否し、さらに京撮支部が同月一日まいたビラをもつて会社は一方的に再建に協力する意思が認められないと断定し、その組合に所属する従業員も同様の意思を有しているとして、組合残留者に対し所属組合の方針に反して再建に協力することを期限付で奨励した等の事実を合せ考えてみると、再建協力と組合脱退とが不可分でなければならないことを要請したものとみるのが相当である。

(三) 「再建に関する具体的措置」については、前記認定のとおり同月八日以後に配布されたものであるが、その内容として「再建に反対し、或いは協力に乏しい者については余剰人員として指名解雇を行なう」と明記している事実からみれば、会社は組合残留者に対して解雇の制裁をほのめかしながら再建に協力することを強要していることが明白にうかがわれるのであつて、会社の主張する業務上の措置とは認め難い。

(四) チエツクオフの廃止については、従来慣行として行なつてきたのを組合と協議することなくいきなり掲示し、しかも組合からの脱退者が続出している時期ににわかに中止したことは、組合が運営面で困惑することを期待してなされたものと認めざるを得ない。

(五) その他会社が昭和四〇年五月二七日、六月一七日に配布したビラは、前記認定のとおり従業員とその家族にあてたもので、その内容は組合が同年の春闘中に行なつたフイルム搬出阻止、組合役員の解雇撤回要求等につき非難攻撃したもので以後の組合分裂の端緒となつたことが認められる。

三 京撮における松田課長の言動について

(一) 会社は、昭和四〇年七月五日配布した組合脱退報告書は、再建協力の意思を表示する者からの依頼で作成したもので、再建協力を希望していない従業員にまで交付する趣旨でなかつたと抗弁するが、前記認定のとおり組合員に配布している事実から見れば組合からの脱退を奨励し、ひいては組合の弱体化を意図したものとみるほかはない。

さらに、前記組合脱退報告書は京撮労政課で印刷され、松田から各部課長に渡されたさい、各部課長のもとに用紙をおき申出者の署名をもつてくるよう指示したことは前記認定のとおりであるが、かかる手続きは組合員自体が行なうべきであつて、使用者がこれを行なうことは法が厳に禁止しているところである。まして所属部課長を通じて署名捺印をもとめることは明らかに組合脱退を強要したものといわざるを得ない。

(二) 前記認定のとおり松田が、七月八日、前記同月二日付「告」の刻限がくる直前に組合員の小林に対し、三回にわたり再建協力の意思の確認を行ない、かつ態度決定を迫つたことは、明らかに精神的な威圧を与えて組合からの脱退を奨励したものであると認めざるを得ない。

以上これを要するに、前記認定のとおり会社の掲示、印刷物、課長の言動等により当初約一、五〇〇人であつた組合員が四三人に激減したこと、ならびに組合員が多大の不利益を与えられた事実等からみても、組合の運営に重大な影響をおよぼしたことは明らかであるから、前記会社の諸行為が労働組合法第七条三号に該当する支配介入であることは論をまたない。

なお、組合は京都撮影所長鈴木昭成を被申立人として掲記しているが、同撮影所はたんに会社の一事業所にすぎないのであり、同所長は会社を代表する資格権限を有しないものであるから同人を相手方として救済をもとめることは明らかに失当である。

よつて、当委員会は、労働組合法第二七条、労働委員会規則第四三条により主文のとおり命令する。

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